『稲妻』 エド・マクベイン | 手当たり次第の読書日記

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稲妻 (ハヤカワ・ミステリ文庫―87分署シリーズ)/エド マクベイン
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ひょんなことから、もう20年も前に読んだこの作品を思い出しました。

アメリカで、共和党のある下院議員がとんでもないことを口走ってしまったというんですね。彼はかねてよりいかなる人工妊娠中絶にも反対であるという立場を表明していた訳なんですが、そこでこういう質問を受けた。レイプ被害にあって、それで妊娠してしまった場合でもですか、と。

それでも、です。彼がもしもこう答えていたのだとしたら、それはそれで彼の信念であるとして受け取られていたのかもしれません。しかし、彼が実際に発してしまった答えというのが、こうでした。

レイプで妊娠することは非常に稀だ、女性の身体はそれが「本当のレイプ」なら丸ごと拒否する──。

つまりどういうことかというと。

「意に反した性行為で妊娠させられた」などありえんと、そう彼は言っている訳なのですね。

妊娠したなら、つまりその女性はその性行為を受け入れていたことになるのだ、と。

場所もあろうにテレビのインタビューでこういう非科学的かつ女性への理解も配慮も何もないことを言ってしまったが為に、まあ当然の反応というべきか、彼は今批判と非難の集中砲火を浴びている状況なのだそうですが。

妊娠中絶反対を訴えている人は、それがレイプ被害によるものであってもそう言えるのか?

エド・マクベインの「87分署シリーズ」でこの疑問が扱われていたことがあったなと、ふと思い出すこととはなりました。

路上のレイプ事件が多発しているアイソラの街。同一犯によるものだと思われるのですが、同じ女性が何度も襲われるなど、普通の(という言い方も変ですが)性犯罪とはどこか様相を異にしています。被害者達は、たまたま手当たり次第に襲われている訳ではないのではないか。もしかしたら犯人には何か理由があって、特に選び出した相手を襲っているのではないか? どんな些細なことでもいいから被害者達に共通点はないかと捜査を進めた刑事達は、彼女達の全てが、「胎児の権利」を主張するある団体に寄付をしたことがあったと突き止めます。

犯人は、人工妊娠中絶反対運動に怒りを抱いている男でした。尤も、彼ヘインズ自身の理由は、妻がカトリックの信仰を理由に避妊をしてくれず(自分がピルを服用することも、夫が避妊具を使うことも駄目)、これ以上子供は欲しくないのにまたできてしまった、という個人的な事情に端を発してはいるのですが。

「わたしには何もかくすようなことはないし、恥じることは何もない。もしわたしのような立場をとる人間がもっと大勢いれば、うわついた意見を無理に人に押しつけようとするあんな罰当たりのグループなんかに踏みにじられることもないだろう」と、逮捕された彼は取り調べで悪びれずに主張します。

彼が目論んだのは、中絶はいついかなる時もいけないと考えている女性達を「婦女暴行犯に妊娠させられた身」にし、中絶を選ばない訳にはいかない場合もあるのだと思い知らせることでした。いかに彼女達の信条に揺るぎがなくとも、自分自身がレイプ被害にあって妊娠してしまったら、それでも中絶しないでいることなど本当にできるものか──。

「わたしはこんなことをして、あの連中にどんなにまちがっているか思い知らせてやりたかったんだ」「自分たちの意志を簡単に人に押しつけることはできないのだとあいつらに示してやりたかった」と言う彼の供述書を読んで、捜査に当たっていた女性刑事アニーはこう思います。


 ヘインズは正義を悪と考えている。

 正義のほうはそれは正義と考えている。

 アニーは両方とも悪いと思った。

 アニーはときどき、人が人のことをほっておいたらどうなるだろうと考えてしまうことがあった。


人が人のことをほっておいたらどうなるだろう。

むしろそのほうが望ましい場合も、事柄によってはあるのではないでしょうか。